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【パチンコ業界最大手】マルハンの歴史

今やパチンコホールチェーンのトップに君臨するマルハングループ、今回はそのマルハンがどのようにして業界最大手にまでにまで登りつめたかを紐解いていきましょう

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【パチンコ業界最大手】マルハンの歴史

時は1945年、朝鮮の小作農をする家庭にうまれた韓 昌祐氏は、日本でレンガ江をする兄の招きを受け密漁船で山口県下関市に密入国、日本の特別永住者資格を取得します。
その後、朝鮮奨学会の支援を得て法政大学を卒業し京都府中郡峰山町でパチンコ店「千波 峰山店」の屋号でパチンコ店を営む義兄の元へ、その義兄からパチンコ店事業を継承します。

1957年~ 創世記

1957年5月
パチンコ事業で稼いだ資金を元手とし京都府峰山町に名曲喫茶「るーちぇ」を開業、マルハングループ創成の第一歩は意外な事に喫茶店でした。


翌1958年4月
千波 峰山店から「峰山カジノ」に屋号変更、1964年名曲喫茶「るーちぇ」がレストラン「ルーチェ」に改装されました。

7年後の1965年4月
兵庫県豊岡市に「豊岡カジノ」がオープン、2年後には同じく兵庫県豊岡市で「豊岡フレンドボウル」というボウリング場が開業されました。
1968年に第1号店のある京都府峰山町にも「峰山フレンドボウル」が開業1970年12月にはゴルフ練習場にも参入し京都府峰山町にゴルフ練習場「峰山ゴルフクラブ」がオープンしました。同年12月に兵庫県柏原町に「柏原フレンドボウル」がオープン。

マルハンの創世記は意外にもボウリング場主体の運営体制だったのであります

1970年代のボウリングブームもあり事業は順調に拡大します。1972年12月に個人事業から会社組織「西原産業株式会社」を設立しました。ボウリング場を多数経営しているにもかかわらずこの規模でまだ個人事業だったのは時代の違いでしょうか。
ボウリングブームの波にのった韓氏はこの後も拡張路線を推し進めていきます。

1972年12月
静岡県静岡市にボウリング場「ボウルアピア」がオープン、ボウルアピアは当時アジア最大の120レーンが完備されたボウリング場でした。現在、全国展開しているラウンドワンの最大レーン数が大阪の高槻店と福岡の博多・半道橋店の50レーンなのでボウルアピアの規模の大きさがうかがい知れます。

1973年3月
兵庫県の柏原フレンドボウルの敷地内に「柏原カジノ店」がオープン。
1973年8月
静岡県の「ボウルアピア」敷地内に「静岡カジノ店」をオープン。
1975年6月
ショッピングセンター「西伴峰山店」「西伴柏原店」「西伴豊岡店」を開業。

1975年9月
京都府にマルハンの冠を使った第1号店である「マルハン野田川店」がオープンします。なお、記念すべき第1弾店舗であるマルハン野田川店ですが現在では閉店してしまっているようです。

1975年10月
ボウリングブームが下火になった影響かアジア最大を誇ったボウルアピアが休業してしまいます。ボウリング事業の負債総額はなんと60億円でした。現在の貨幣価値に直すと、100億円以上の負債を抱えた事になります。

1975年12月
マルハンの2号店となるマルハン姫路・神戸店がオープン。姫路店・神戸店はマルハン初の本格的な郊外型パチンコ店としての出店でした。

1976年6月
岡フレンドボウルと西伴豊岡店を事業譲渡。
1978年3月
峰山カジノ店が閉店。
不採算事業は続々と切り捨てられます。

1980年10月
休業中だったボウルアピアがレーン数を60レーンに減らして再開され、残りのスペースにはローラースケート場「チャーリーワンアピア」が建設されました。

1982年9月
峰山市に球場建設費として1億円を寄付、地域貢献も忘れていません。また、フィーバーブームで好調なパチンコ事業で社員の制服が制定されます。

1983年12月
静岡県静岡市に「静岡支社」を開設。
1984年12月
ボウルアピア敷地内に「ブックセンター静岡店」がオープン。
1985年4月
ボウルアピア敷地内に「バラエティショップ in アピア店」がオープンしました。

1986年3月
ボウリング事業での負債60億円を完済。たった11年で60億円もの負債の完済を成し遂げました。

1987年6月
ソウルオリンピック大会に支援金1億円を寄付。

1988年10月
社名を「株式会社マルハンコーポレーション」に変更、本社が京都市上京区に移転されました。
1989年4月
東京都新宿区に東京事務所を開設。
1989年12月
兵庫県神戸市に神戸支社を開設。

1990年~ 成長期

1990年8月
西伴柏原店が閉店。
1990年12月
韓国文化研究振興財団(現 韓哲文化財団)を設立
社内報「MARUHAN NEWS」を創刊
「経営理念」「社訓」を創設

1991年4月
当時のパチンコ法人ではめずらしい大学卒業生を5名採用し業界を変える改革がスタートしました。

1991年9月
上高1000億円を達成
1991年12月
静岡県三島市に神奈川営業本部を開設しました。

1992年4月
「マルハン草薙アピア店」がオープン。
当時のパチンコ店員さんは現在のようなカワイイお姉さんが笑顔で挨拶してくれる事はありません。パンチパーマのイカツいお兄さんがタバコを吸いながら接客をしている事もしばしば、、そんな接客やサービスマナーへの注力が希薄であった同業界の常識を変えるべく、サービスマナーモデル店としてオープンしたのがマルハン草薙アピア店でした。

1992年12月
兵庫県明石市に関西支社を開設。
1993年4月
新卒採用を開始、第一期生として13人の新卒者が入社します。
1994年8月
静岡県藤枝市にアミューズメント「セガワールド藤枝駅南店」を開業。

1995年2月
創業者の韓昌祐氏が韓国政府より国民勲章「無窮花賞」を受賞。
1995年7月
東京都渋谷区に東京営業本部が開設。
同時期に「マルハンパチンコタワー渋谷」がオープン。
この頃からギラギラしたネオンサインが存在感を発揮するそれまでのパチンコ店からスタイリッシュな見た目と質の良い接客を提供する営業スタイルへと変化していきます。

1995年9月
資本金を8000万円から1億8250万円に増資。
1995年10月
「マルハンパチンコタワー渋谷」が日本経済新聞社から「1995優秀先端事業所賞」を受賞。

1996年1月
従業員持株会が発足
従業員持株会とは従業員の自社株式取得にあたり会社が拠出金の給与控除、奨励金の支給などの種々の便宜を与えることにより、従業員の自社株取得を容易にし、財産形成を助成する制度です。
1996年8月
景品卸売り会社である株式会社エムエムインターナショナルを設立。なお、株式会社エムエムインターナショナルは現在清掃、設備保守、施設管理などを主業にする会社となっているようです。

1997年5月
創業40周年記念式典を挙行。
1997年7月
「イズムプロジェクト」がスタート。
1997年8月
資本金を3億9300万円に増資

1998年
売上1兆円プロジェクト始動。
グループ全体で売上高1兆円総店舗数200店舗を目指すプロジェクトが爆誕します。

1999年6月
韓昌祐社長が会長へ、鈴木嘉和副社長が社長に就任。

1999年10月
「株式会社マルハン」に変更、コーポレートシンボルも一新されました。
1999年11月
韓昌祐会長が日本政府より勲三等「瑞宝賞」を受賞します。

2000年~ 業界最大手へ

2000年7月
大阪市中央区に関西営業本部を開設。
2000年11月
株式会社マルハンが内閣総理大臣より紺綬褒章を受章。
紺綬褒章とは国の褒章制度のひとつで、公益のために私財を寄附した場合に授与されます。
2000年12月
東京・池袋に映画館「新文芸坐」をオープン。

2001年2月
日韓親善サッカー・マルハンカップを開催。

2002年2月
マルハングループ総店舗数100店舗を達成。
2002年10月
東京本社新設、京都本社/東京本社の2本社制がスタートします。
2002年12月
マルハンカップ日韓女子プロゴルフ対抗戦を開催。

2003年3月
関西営業本部を大阪から京都本社内に移転。
2003年4月
決算期を9月から3月に変更。
飲食事業を独立分社化、株式会社エムフーズ、現マルハンダイニングを設立。

マルハンといえばごはんどきが有名ですが、マルハンダイニングではミスド、ファミマ、串カツ田中、いきなりステーキなどのフランチャイズ店舗も運営しています。

株式会社マルハンダイニング
食のエンターテイメントカンパニーを目指す、株式会社マルハンダイニングのオフィシャルコーポレートサイトです。当社は「ごはんどき」や「てんがららーめん」、焼肉レストラン「西の屋」、街のビュッフェ「ハーベストガーデン」、オリジナル珈琲ブランド「スクロップコーヒーロースターズ / Scrop COFFEE ROASTERS」や...

2004年4月
「マルハンアカデミー」を東京・上野に開設。
2004年5月
社内報『MARUHAN NEWS』を『Luce』へ刷新。
2004年9月
「マルハン企業憲章」を制定

2005年1月
パチンコ業界初の売上高1兆円達成。
2021年度のパチンコホール法人の売上高は1位のマルハンが1兆2709億円、2位のダイナムが4632億円と業界では断トツの売上を計上しています。
2005年3月
株式会社エムフーズがゾッカコーヒー日本一号店を開店。

2005年6月
売上1兆円達成記念式典を幕張メッセで大開催。
Jリーグ「大分トリニータ」のスポンサーに参入。
資本金を3億9300万円から100億円に増資。

2006年8月
マルハン浜田店のオープンで、マルハングループ総店舗数200店舗達成。
2002年の100店舗達成から約4年間、1年25店舗、1ヶ月に約2店舗の驚異的なペースの増殖能力の発揮しました。
2006年9月
労働組合「UIゼンセン同盟マルハンユニオン」結成。

2007年5月
創業50周年を迎えます。
2007年6月
マルハンドリームカップ全国ベースボールトーナメント大会がスタート。
創業50周年に伴う社会貢献活動「献血活動」スタート。
2007年9月
第1回FIPFAワールドカップ2007大会協賛。
FIPFAワールドカップとは、パワーチェアーフットボールワールドカップで障がい者サッカーの世界大会です。
2007年12月
創業50周年に伴う社会貢献活動「世界の子供にワクチンを」募金活動スタート。

社会貢献やスポーツ界への貢献も抜かりありません。

2008年2月
株式会社マルハンが出資する中国マカオのカジノホテル「ポンテ16」がオープン。
2008年5月
カンボジアに「マルハンジャパン銀行」が爆誕。

遂に世界進出が始まりますが、いずれも共産圏への進出となりますが大丈夫でしょうか。

2008年6月
会長の韓昌祐氏のご子息であらせられる韓 裕氏が社長に就任します。

同月株式会社エムフーズが株式会社マルハンダイニングへ社名変更。
2009年2月
「(財)省エネルギーセンター会長賞」を受賞

2010年~ リーディングカンパニーとしての歩み

2010年4月
マルハン所属のアルペンスキー狩野 亮選手が、冬季パラリンピックバンクーバー大会の男子スーパー大回転で金メダル、男子滑降で銅メダルを獲得。
2010年11月
車椅子「マルハンフレンド号」の寄贈が100号を達成。

2010年12月
全面LED照明を導入したエコモデル店として、昭島店・入間店の2店舗が開業。
同月「地球温暖化防止活動環境大臣賞」を受賞。
流行りのSDGsの波にもしっかり乗っていきます。

2011年4月
マルハン群馬デポセンター開設

2012年4月
大型フードコート「ハーベスト・ガーデン」を併設するマルハン千葉北店がオープン。

2013年1月
2020オリンピック東京招致オフィシャルパートナーに就任。
省エネルギーセンター会長賞を受賞。

2013年6月
「くるみんマーク」を取得
くるみんマークとは子育てサポート企業として一定の認定基準を満たした企業に与えられるそうです。
さすが社員への福利厚生も手厚いですね。

2014年3月
狩野亮選手が冬季パラリンピックソチ大会にてアルペンスキー滑降、スーパー大回転で金メダル獲得。

同月経営破綻に陥っていた全国18カ所にゴルフ場を展開する太平洋クラブのスポンサーとなり、株式会社太平洋クラブの経営権を取得。

2014年4月
マルハングループ総店舗数300店舗を達成

2015年4月
インバウンド対応型店舗「マルハン新宿東宝ビル店」がオープン。
外国人旅行者向けのサービスを多数採用しますが、この後数年でコロナ渦に突入します。

2016年4月
カンボジアに展開していたマルハンジャパン銀行とサタパナ社を統合し、マルハン傘下の新生サタパナ銀行が営業開始。

2016年5月
投資事業会社マルハンベンチャーパートナーズを設立、ベンチャーキャピタル事業を開始します。
同月環境省主催『環境人づくり企業大賞2015』奨励賞を受賞。
環境問題にもガッツリアプローチする事で、業界のクリーンなイメージを作ってくれるのは業界全体にとってもいい事かもしれません。さすがリーディングカンパニーです。
2016年6月
2度目のくるみんマークを取得

2016年8月
代表取締役会長 韓 昌祐が京都府丹後広域振興局長より紺綬褒章を受章。

2017年5月
開業60周年を威風堂々と迎えます。

2019年4月
株式会社ステラパートナーの設立
2019年10月
内閣総理大臣より紺綬褒章を受章

今回はマルハンの会社沿線に沿ってグループの歩んできた歴史を紹介してみました。今後、業界最大手の企業としてどのような方向へ進むのか楽しみですね。



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